木村 菜穂子[理学療法学専攻]
先日ある研究会の会議で、熊本を訪れました。飛行機は苦手なので、できるだけ眠るようにしているのですが、到着間近には夕日が、また眼下には緑色の大地(阿蘇山の辺りですかね?)が美しく見えました。街なかは人も多く、活気にあふれていましたし、正直に言うと、この地に1年前に起こったことを私は忘れかけていたのです。 翌日、会議は10時からの予定でしたが、その前に熊本出身の恩師が我々に益城町にあるご実家を訪問しないか、と各地から参加している我々に声をかけてくださいました。近隣の先生方が車を出して下さり、熊本の中心街から向かう車窓から、少しずつのどかになっていく風景の中に、不自然に更地になった土地や、工事している場所、傾いた電柱、ブルーシートで覆われた傾斜地などが少しずつ増えていくのを目の当たりにしました。訪れた先生のご実家は、その爪痕がはっきり分かる状態であり、今さらながらその影響の大きさを感じることができました。と同時に、「なぜ、忘れていたのだろう」という思いが頭をよぎったのです。 この文章を読まれた方の中には、「興味本位で見に行ったのでは?」と不快感を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。災害の影響を直接受けた方々の心中は、経験のない者には想像することしかできません。でも私が見た風景の中には、災害が残した爪痕と同時に、人々の日々の暮らしがありました。そして、この地で暮らす方々にとって、納得できる「暮らし」を営むために、何が望まれているのか、考えるきっかけとなる経験であり、私にとっては大きな出来事となりました。 このような機会を与えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
教員リレーコラム