教員リレーコラム

世の移ろい

舟橋 啓臣[理学療法学専攻]

「行く川の流れは絶えずして、しかも元に水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫の、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中の人とすみかと、またかくのごとし。」鴨長明の「方丈記」はこのような書き出しで始まる。一丈四方(3mx3m)の小さな庵に日長座り続け、眼前の川を眺めていると、水が川上から緩やかに流れ続けている。所々に流れが滞っている箇所では、浮かんでいる泡は次々に消え、また出来ることを繰り返しており、同じものが続いて存在することは決してない。世の中の人も遭っては別れることを繰り返し、棲家も新しく出来ては朽ち果て、また誰かが新しく建てることを繰り返している。世の中の物事はひと時たりとも留まる事なく続いているのに、絶えず変化していて、何と儚く侘しいことであろうか、と感じたのだろう。最近、日本は変わってしまって、昭和の頃は楽しく輝いていた、という意味合いのテレビ番組が結構人気のようだ。あの頃は周りに優しさが溢れていた。暮らしの急激な変化はなく、毎日がいつもと同じ生活の繰り返しだったが、確かに今から思えば不便な時代ではあった。だが、この不便さが人と人との心を通じ合わせ、助け合いの精神も普通に共有することを可能にしていた。昨今の便利さが人を変えてしまった。凶悪な事件や、聞くだけでもやりきれなさを感じる出来事が毎日のようにニュースで流れている。少し前までは、諸悪の根源はテレビだと自分は信じて疑わなかったが、それが今やスマホに変わった。特に体だけが大人で精神はまったく未熟な若者が、スマホによって芯から毒されていく姿を見ていると、このままでは日本は破滅の道を一直線に進んでいるとしか思えない。とは言え、今の社会もまた新しく(悪い方向に)変わっていくことだろう。もうじきロボットが人の代わりをしてしまうようになり、車の運転も人がするのではなく自動になる。人の存在意義が無くなってしまう時代が来ようとしていることを、若者たちはどう感じているのだろうか。大げさに言えば、先々は人間が作り出した擬似世界(ロボットたちの)に支配されてしまうのではなかろうか。本当に恐ろしい時代が、もうすぐそこまで来ているのだ。なぜか。ロボットは学習するにつれて、自分で考え判断できるようにプログラミングされていくからだ。ロボットに人間が支配される日は、そう遠くないと感じている。無理なことは分かっているが、何とか昔の不便な時代に遡って、温かく優しい社会に戻れないものかと願うばかりだ。
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