堀部 恭代[作業療法学専攻]
先日、2020年東京オリンピック&パラリンピックの大会エンブレムが発表された。 エンブレムには すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。 すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。 そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動。 という3つの想いが込められているようだ※1。 この中で用いられている”インクルーシブ”という言葉に注目したい。 インクルーシブ(inclusive)を辞書で調べてみると以下の様な意味があるようだ※2。 1.~を含めて、算入して 2.はじめと終わりを含んで 3.全てを含んだ、包括的な 4.性差のない、包括的な 5.非排他的な 6.包括の、話者と聞き手を含む オリンピック・パラリンピックの両方のエンブレムに”大きな円”が描かれているところをみると、障害の有無に関わらず誰もが社会の一員となる世の中を目指すという想いが込められているのではないだろうか。 素晴らしいエンブレムだと思う。 しかし、このような”インクルーシブな世界”という想いをわざわざエンブレムに託すのは、現実がそうではないからだろう。 先日、ある精神障がい者の家族会に参加した。家族が”今一番つらいと思うこと”は、本人の幻覚や妄想などの症状ではなく、親類や近所の人々に偏見を持たれることだという。”障がい者”を排他的に扱う”社会の課題”が存在し、この課題が精神障がい者のみならず多くの”障がい者”と言われる本人やその家族を苦しめている。 家族会に参加するたび自分の非力さに腹が立つ。リハビリテーションに携わる我々は、こうした『社会の課題』に着目し、変えていくことが非常に重要であると思う。生きにくい心や身体を持ちながらも生き抜ける支援こそがいま求められている。 このエンブレムに力をもらいながら、私自身、様々な挑戦をしていこうと思う。 ※1:toyuo-2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会HP ※2:ジーニアス英和大辞典 大修館書店 南出康世(編)
教員リレーコラム